ケルティックジュエリー&クラダーリング専門店【ボウディッカ】

ケルティックデザイン史概説

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今、ケルトへの疑問
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今、ケルトへの疑問

私がダブリンのナショナルミュージアム(アイルランド国立博物館)を初めて訪れたのは、1990年8月のこと。書籍の1ページに燦然と輝いていた憧れの“ザ・タラ・ブローチ”---その実物を見た!という感動と興奮もさることながら、「天使のわざ」と題された、古代~中世初期の金属工芸発掘品の大きな特別展をちょうど開催中で、エディンバラのナショナルミュージアムやロンドンのブリティッシュミュージアムの所蔵品もその場で見ることができ、とても幸運でした。

その後ダブリンには幾度か訪れながら、ナショナルミュージアムを2度めに訪れたのは2001年8月、じつに11年ぶりのこととなってしまいました。実物を見たというだけの単純な興奮は、2度めにはさすがに収まっていましたから、展示に添えられた説明文を(時々辞書を引きながら)じっくり読んでいったのですが、今度はその解説に私は興奮してしまったのです。というのは、“ケルト”一辺倒という印象だった11年前の解説と違い、今の解説は“ケルト”という単語をほとんど使っていないことに気付いたのです。ちょうどヴァイキングの文化的影響を特集していたこともありますが(画像はスウェーデン西岸の教会から出土した石棺彫刻、紀元600~800年頃)、ヨーロッパの様々な民族文化の影響を説明しながら、アイルランドは“ケルト民族”だけの国ではない、複合文化の国だという認識方向に振り子が大きく振れているのが感じられました。

さらに2年ほど経った時、日本国内でふと手にした新刊本で、古代ブリタニアが“ケルト”の領域だったという認識そのものが、今日イギリスの学界では否定されている!ということを知るに至り、そこまで言うのか?と私は衝撃を受けました。イギリスの考古学者の多くが「古代ブリタニアにケルト人は来なかった」と主張し始めた(まだ反論はあるものの)らしいのです。(参考図書:南川高志『海のかなたのローマ帝国 古代ローマとブリテン島』 岩波書店、2003年。たとえばその14ページから引用すると、「今日では、ブリテン島へのケルト人の侵入や移住を認めず、島のケルトなる見方は近代の所産にすぎないと、イギリスの考古学者の多くが考えるようになった。」)

もっとも私は、2001年夏のダブリン訪問時に、街の本屋やレコード店、みやげ物屋には“ケルト”という言葉が溢れているのに、ナショナルミュージアムの展示には“ケルト”という単語がほとんど見当たらない、ということに気づいたのと相前後して、学問の世界では、アイルランドの文化的特徴のすべてを“ケルト”と形容する風潮に対する反発があること、「“ケルト”の使用は言語学の分野に限るべきだ」といった意見があることなどを、わずかながら人づてに聞きかじっていました。アイルランドの国立大学のひとつでフォークロア(民俗学=民衆の伝統や習慣、民間伝承、民間信仰などを体系的に学ぶ学問)を修めた私の友人からも、少なくともその分野の修士課程レベルでは“ケルト”という概念は全く出てこない、と聞いていました。

そして2003年9月にスコットランドを旅し、ある意味ではスコットランド人揺籃の聖地とも言えるダナッドの岩山(アイルランド北部のアルスター地方からスコットランド=当時はピクトランドの西部アーガイル地方に移住したダルリアダ部族が、その後のスコットランド王朝の礎を築いたという城塞趾)や、先史時代の石の遺跡が集中し“亡霊の谷間”とも呼ばれているキルマーティンで、訪れたヴィジターセンターで見せられたオリエンテーションフィルムのナレーションの中でも、“ケルト”という単語を聞くことはありませんでした。土着のピクト人とアイルランド系の部族が長い抗争と融合の末に、スコットランドが成立してゆく過程を、“ケルト”という単語を一切使わずに説明するのは、私にはむしろ奇異に感じられたのですが、街を歩き“伝統音楽とハイランドショー”の看板を見ても、立ち寄ったみやげ物屋で探しても、“ケルト”“ケルティック”の文字は見当たらない---意識的に、まるで今やタブー(禁句)であるかのように、注意深く避けているかのよう。ただそれに取って代わったかのように、“ピクト”“ピクティッシュ”の文字がやたらに目につきました。渦巻き、組紐文様といったデザインの装飾品やジュエリー(ケルティックジュエリー)は、依然として人気抜群のおみやげ品で、ますます品数が増えたようですが、それを“ケルティック”ではなく“ピクティッシュ”というラベルを上から貼って売っている---と、そんな感じです。

“ピクト”“ピクティッシュ”については、前のページをご参照ください。

スコットランドの帰りにダブリンに立ち寄ったら、アイルランドの街ではまだ“ケルト”は禁忌になっていませんでした。アイルランド政府の外郭団体が毎年主催するトレードショーの2004年開催予告のニュースレターでも、「ケルティック・エキシビション」の取り上げ方が大きいのは相変わらず(左は Showcase Times より)。ちなみに2002年開催ショーケース出展企業のうち、Celtic_で始まる社名を数えたら16社、Irish_で始まる18社との差はないも同然でした。

1990年代に急速な経済発展を遂げたアイルランドを例えて自ら「ケルティック・タイガー」と称するなど、アイルランドでは、政府広報でも“ケルト”“ケルティック”の語句がためらいなく使用されています。英国(その中でも特にイングランド)とアイルランドの“ケルト”の語に対するスタンスが、もともと違っていても当然なのですが。

スコットランドを含めて英国から“ケルト”という単語が---学問の世界だけでなく、ジャーナリズムやマスメディアから、街から、商品からも消えた(隠された)といって、英国で古代史の研究が停滞したり後退したりしてしまったわけではありません。

紀元前55年にカエサル(シーザー)率いるローマ軍が遠征してきた時、ブリタニアには「トリノヴァンテス」「カトヴェラウニ」「アトレバテス」「イケニ」など、カエサル自身が記録に書き残した複数の部族が住んでいて、彼らが野蛮な未開人ではなく、ローマとは違う高度な文化を持っていたことは、英国人の誰も疑いはしません。ただ、以前はそれらの部族を“ケルト人”と括っていたのを今はやめて、彼らが何者だったのか、あらためて検証を深めているのです。

実際、1990年代に入ってから特に目覚ましい発掘や科学的検証の成果が、人々の想像力をより自由にし、古代の暮らしぶりをリアルに再現しようとする努力が、多くの人の目に触れる博物館の展示や映画、テレビドラマの時代考証にまで反映しているようです。画像の左は1967年制作の英国ハマーフィルム『虐殺の女王 The Viking Queen』、右は2003年9月末に英国とアイルランドで放送されたテレフィルム『ブーディカ Boudica』(原題、アメリカでの放映タイトルおよび日本でのビデオタイトルは『ウォリアークイーン Warrior Queen』)。どちらも同じ、紀元61年に反乱を起してローマ軍と戦ったイケニ族の女王ボウディッカ(当店ご案内「ボウディッカとは?」をご参照ください)をモデルにした歴史ドラマですが、こうしてビデオパッケージを並べただけでも、後者の方が画も音もずっとリアルで面白そうだというのがおわかりでしょう。(このふたつのドラマについて詳しくは IRISH-ON-FILM INDEX に載せました。ご興味のある方は 虐殺の女王ウォリアークイーン を参照。)

英国(イングランド)でも“ケルトブーム”がにわかに盛り上がりを見せたのは、ミレニアムを控えた1999年。その年のバーミンガムで開催された国際トレードショーには、英国企業もこぞって、ケルティックジュエリーやその他もろもろの“ケルティックグッズ”を出展していました。そして2000年1月にピークに達したと思ったら、同年の夏にはもう下火になり、アジアブームに取ってかわられたようです。私はたまたま2000年夏にネパール旅行をし、カトマンドゥのバザールで“ケルティッククロス”柄や“ブック・オブ・ケルズ”風の柄のろうけつ染めの布を見つけて買いましたが、「イギリスに輸出できるから大量に作ったのに、今は在庫の山だ」と嘆いていました。

ケルト人の項で、かつて英国BBCが1987年に放送したテレビシリーズ『幻の民ケルト人 The Celts』が、世界的なケルトブームに火をつけたのでは、と述べましたが、2000~2002年放送の教養番組『ヒストリー・オブ・ブリテン A History of Britain』では、同じBBCが何と言っているでしょうか。既に日本でも放送された(2004年1月よりCS放送のBBCワールドチャンネルで放送中)第1回を見ると、ボウディッカの反乱を詳しく述べながらも、“ケルト”という言葉はやはり使用せずに、もっぱら「鉄器時代のブリテン人」と表現しています。

以上述べてきたことに関わらず、英国大使館/英国観光庁の日本語サイトから地域ごとの歴史と文化の紹介ページを見てみますと、まだまだ“ケルト”という言葉に疑問すら差し挟むに至っていない様子です。アイルランド大使館の日本語サイトの歴史紹介記述と合わせて、以下に抜粋引用してみましょう。(以下リンクは2004年1月当時の引用。現在「UK NOW」は「visit Britain」(www.visitbritain.jp)という別サイトになり、記述内容も変更されています。)

  • UK NOW>英国政府観光庁>ウェールズの歴史と文化 より(引用時期:2004年1月)
    「ウェールズ人の先祖ケルト人は、遥かBC5世紀頃に鉄器文化を伴ってブリテン島に渡ってきた。ケルト人は自然を信仰の対象とし、音楽・詩に代表される芸術をこよなく愛したという。今にその伝統は引き継がれ、ケルティック楽器のハープの愉快な演奏はウェールズならではのものだ。」

  • UK NOW>英国政府観光庁>スコットランドの歴史と文化 より(引用時期:2004年1月)
    「スコットランドとは、ケルト民族の一派『スコット族』の国、という意味。スコットランドの歴史は、数多くの移民と侵略者との戦いに始まる。アイルランドから渡ってきたケルト系スコット人の一部がピクト人の王国を併合して…(中略)。独立心旺盛なケルト民族の血を引くスコットランド人は、最後まで(イングランドへの)併合に抵抗し、自国のために戦ってきた。そんな彼らの歴史的遺産は、イングランドやウェールズのものとは違う異彩を放ち、ケルト系の文化の影響がいまだに色濃く残っているのだ。」

  • アイルランド大使館>アイルランドの歴史 より(引用時期:2004年1月)
    「紀元前6世紀になると、ヨーロッパからケルト人が波のように何度も侵入してきた。ケルト人はアイルランドを政治的に統一はしなかったが、文化と言語を統一した。」

そして、先祖がスコットランド人、アイルランド人だという人が多いアメリカでは、空前の“ケルトブーム”が衰える気配も見せず、試しに英語版グーグルで「celt」を検索してみたらおよそ196万サイトが当たると出ました。映画『ロード・オブ・ザ・リング』のアメリカ版プロモーション番組で、イギリス人J.R.R.トールキンの原作『指輪物語』の意図をまるで無視して、ケルトと結び付けて解説してしまうような、暴走気味とも言えるケルト礼讃ぶりです。確かに映画の中でのローハン国の意匠は、ケルティックデザインが採用されているようですが…。

次ページへ続く


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