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・はじめに:タラブローチって何?
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文化的頂点を極めたアイルランドの教会や修道院は、9世紀に入るとヴァイキングの掠奪に怯えて閉じこもりがちになり、文化発信サイトとして機能しなくなってきます。敷地内に建てた煙突のような石造りの円塔(ラウンドタワー)に、金目の工芸品を隠して自らもろう城し、怒ったヴァイキングが下から火を放ったために、お宝もろとも煙突の中で焼け死んだ修道僧は悲劇でした。 だがアイルランド文化全体を考えると、ヴァイキングの活動は必ずしもアイルランド文化の破壊と後退を意味するものではありませんでした。今日ではアイルランドやブリテン諸島の代表的“ケルティックデザイン”と認識されている複雑精緻な組紐文様は、じつはスカンディナヴィア文化と共通で、ヴァイキングの文化的意義が大幅に見直されてきています。もちろん以前から、ダブリンやリムリック、ウォーターフォード等アイルランドの諸都市の建設者として、歴史的にヴァイキングが無視されたことはありませんでしたが。
“ケルティックデザイン”がアイルランドで息を吹き返すのは、民族運動が台頭し、政治的にも英国からの独立の気運が高まった1800年代半ばのこと。「ケルズの書」の装飾についての研究書が1845年に初めて出版され、1850年にはタラ・ブローチ(このページ左上に掲げた切手の図)が発掘されます。ジョージ・ピートリーら好古家の活躍もあって、“ケルティック・リバイバル”はたちまち流行。ケルト風の復古趣味がもてやはされ、新しい教会建築や、家具や食器などの装飾に“ケルティックデザイン”が再び使われるようになりました。
上の写真はダブリンで商品化され販売されたアクセサリーの一例です。 上列左から「クラレンドン・ブローチ」(1849年、ウォーターハウス社)、「タラ・ブローチ」(1851年、ウォーターハウス社)、「ドラゴン・ブローチ」(1871年、ウェスト社)、下列左から「タラ・バックル」(1894年、ウォーターハウス社)、「アーダー・バックル」(1912年、ホプキンス社)。(写真は Paul Larmour, Celtic Ornament (The Irish Heritage Series 33), Dublin 1981 より引用。)
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